ボロボロ泣いてしまった。
本屋で漫画を立ち読みして泣いたのは初めてだった。
小学校6年生だったか。
サイボーグ009「地下帝国ヨミ編」最後のページであった。
本屋のおばちゃんが不審げに眺めていたが、このときははたきで追い出さなかった。
001にテレポートで宇宙船に送り込まれた009は差し違えで「黒い幽霊団(ブラックゴースト)」を破壊する。宇宙へ放り出された009を002が救う。しかし002もエネルギーを大気圏脱出で使い果たし、ふたりは地球へ燃え落ちていくしかない。
002が009に聞く。
「ジョー、きみはどこにおちたい?」
ブラックゴーストの宇宙船の爆破光夜空にが輝き、流れ星として落ちる二人の光跡を物干し台!からみた地上の誰とも知れぬ少女が祈る。
「世界に戦争がなくなりますように」と。
リメイクばやりの昨今だが「サイボーグ009」までが対象だとは知らなかった。
正確にはリメイクではない。
新作である。
「009 RE:CYBORG」
ジョーの髪の毛が気に入らない。
ハードムースで固めたような前髪は、わたしの009ではない。
しかし音楽はよい。やはりこの手のSFには川井憲次氏である。
物語は「天使編」と「神々との戦い編」をミックスして、未完のまま終わったこの作品に結末をもたらすべく運ばれる。
監督は「攻殻機動隊」などを手がけた神山健治さん。009が「攻殻機動隊」を扱った人の手になるというのは分かる気がする。
今、思い返せば009は発表当時から非常に内面的な作品だった。
そこで終わっておけばよかったのにと思えるシリーズ「地下帝国ヨミ編」。
ブラックゴーストは肉体が滅んだ後も活動を続ける三つの脳。
009に三つの脳が云う。
「ドンナチカラモワタシヲホロボスコトハデキナイ」
「ワタシハシナナイ」
「ワタシモブラックゴーストノサイボウノヒトツニスギナイ」
「ブラックゴーストハニンゲンタチノココロカラウマレタモノダ」
「ブラックゴーストヲコロスニハチキュウジョウノニンゲンゼンブヲコロサネバナライ」
人間の心に潜む闇を相手にしなければならないなら、物語は当然、深層心理に分け入ってゆくしかない。
事実、ヨミ編の後、009は迷走する。漫画としてはひどく難解になり、動きはなくなり、おもしろさを失い、未完のままに終わった。
しかたがなかっただろう、と思う。
「攻殻機動隊」が世に出て、009が蘇ったのは偶然ではない。やっと、ビジュアル環境と009が目指した世界に接点が出来たのだ。
神は人間の造物主であり、宇宙人であるという、原作がほのめかした設定はそのまま。
動員を考えてか、あまり内面的にならぬようにしており、アクションにも相当の工夫を加えている。いまどき「正義」論が物語で展開するのには驚かされたが、00ナンバーはかつて「正義の味方」だったのだ。「正義」を振りかざす輩やお話ほどあやしいものはない。
ところが冷戦が終わり00ナンバーのサイボーグたちは失業!してしまい、世界へ散ったのだ。002は米国の国防総省のエージェントになり「アメリカこそが正義だ」と信じる。002は009に安保条約の是非まで問う。009が「負けて勝つ」みたいなことを云うのが可笑しい。
002さん、大活躍である。そう、この映画は002の話なのだ。
「神」に「正義」はつきもので、「正義」の味方は世界の警察官を標榜する米国である。冷戦後、その米国にイスラム圏が正義を問い、中国は新たなヘゲモニーを窺う虎となり米国の正義を憎む。
発表当時の009ははっきりとした反戦漫画であり、冷戦構造のなかで平和を目指す第3勢力を意識していた。009の仲間たちは世界中から集められた外人部隊であり、そこには「国連軍」をイメージした軍事組織で冷戦を終結させるという構想が潜んでいたと思う。しかしブラックゴーストが予言したとおり戦争はなくならない。もはや正義は語るにたる言葉ではなくなってしまった。
まあ理屈はこの辺にしておいて、よかったのは003の成熟ぶり。実にセクシーである。
そのせいか、スポンサードのせいなのか、先週の週刊アスキーの表紙はフランソワーズなのであった。
2012年11月06日
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